会社を元気にするための事業活性化・経営・補助金活用の知恵袋

ジュエリー業界や小売業にとどまらず、中小企業の皆さんのお役立ち情報を随時配信中。補助金活用、経営体質の改善、事業活性化に繋がる新規事業展開などが主なテーマです。

2018年10月


左斜め上からジュエリー業界を元気にする中小企業診断士 広岡徹也です。今日も前回に続いて事業承継について取り上げます。
上杉謙信

事業承継の第二回目は上杉家(謙信・景勝)です。「上杉謙信に学ぶ事業承継」という書籍があるのですが、現代の企業経営における事業承継に通ずる部分があり、おすすめです。謙信もそうなんですが受ける側の景勝についての記述が非常に示唆に富んでいるため、今回は受ける側(景勝)に焦点を当てていきます。上杉謙信も武田信玄と同様、戦国時代を代表する武将として名を馳せましたが事業承継はかなり不器用で、渡す側への引継ぎ等はほぼゼロでした。謙信自身も仏教への信仰心から子供を作らず、血のつながりのない養子(景勝、景虎)2名を残し、後継者をはっきりと指名しないまま目眩を訴えて倒れて、そのまま帰らぬ人となりました。謙信はとてもお酒が好きで、梅干を肴にして酒をガンガン飲む人だったらしいです。謙信の死後どうなったかと言うと、2人の養子の間で越後の国をどちらかが治めるかで2派に分かれ、周辺の国々もどちらかに加担して内乱が勃発します。
謙信時代からの重臣として補佐役を担っていた直江兼続のバックアップもあり、2年間に及ぶ御館の乱を景勝側が制し、景虎(北条家の出身)は自刃しました。

謙信からの引継ぎがゼロで、実力で後継者の座を勝ち取った景勝ですが、実に巧みに国を治めていきます。当初から順風満帆であったわけではなく、内乱平定の最中に織田信長に侵攻されましたが、本能寺の変で戦局は一変し、景勝は豊臣秀吉と提携し関係強化を図っていきます。秀吉に越後(90万石)から会津(120万石)の移封を命じられ、大大名の地位を確立していきます。しかし、移封間もなく秀吉が他界し、関ヶ原の戦いで西軍について敗北した景勝は窮地を迎えます。通常であれば上杉家の取りつぶし、廃絶が普通の流れですが、家康に迅速に謝罪したほか、廃絶にならないように根回しも行い、とにかく家康に恭順の意を示し、米沢(30万石)への減封で済みました。石高が1/4となり、このままでは財政が逼迫するため通常であれば人員削減のリストラを行うのですが、景勝は一切やらず、人こそ家の財産なりと言って財政の立て直し、切り詰め策を実行し、その後270年にも及ぶ米沢藩のその後の存続繁栄に繋げました。また、大坂冬の陣でも以前お世話になった秀吉の子息である秀頼軍を相手に目覚ましい活躍を見せ、家康の信頼も勝ち取りました。

前回の受ける側の武田勝頼とは対照的に上杉景勝は企業経営で言えば、社内・社外で起きうることを漏れなく想定しつつ、先を見たうえで一族の中長期的な繁栄存続をゴールにして、現実的な対応を的確に行った印象があります。
整理すると以下の3点がポイントとして挙げられます。

1)先代を敬う
先代が考えてきたこと、やってきたことを受け入れて謙虚になる。例えばですが、後継者主導で社史を作り、会社の歴史を従業員と共有したうえで、向こう20年後の将来のビジョンを皆で作る。

2)変化への対応力
企業の存続・成長には欠かせない要素ですが、景勝は実に巧みに対応していたと考えられます。自身の力量、置かれた状況と外部で起きていること、今後起きうることを客観的に整理分析し、素早い対応を随所に行っています。

3)補佐役の存在と本人が聞く耳を持っていたこと
2)の対応力を高めるためにも、これは必須です。景勝で言えば謙信時代からの重臣・直江兼続が名補佐役として機能しました。通常の事業承継ですと先代の番頭さんなどがそうですが、煙たがらずに有能な方は引き続いて重用し、耳の痛い意見をありがたいと思って聞くことが大事です。  

あと、渡すほうについてですが、今回のように後継者が2人いた場合、後継者を競わせてはダメということも重要ですね。先代がいなくなると十中八九、二分して争いが起きます。長くなりましたが今日はこのへんで。最後までお読みいただいてありがとうございました。


左斜め上からジュエリー業界を元気にする中小企業診断士 広岡徹也です。
今日はこれまでのマーケティング的な話題から打って変わって事業承継について取り上げてみたいと思います。私の前職である企業信用調査会社に勤務時代、お客様の企業、そうでない未取引先の企業をあわせて1,000社を超える企業を見てきました。(関係が深い、浅いのバラつきはありますが)
その中で 事業承継がうまく行っていると感じた企業は数えるほどです。後継ぎがおらず廃業、いても親子間で仲が悪く、うまくいかないもしくは先送りというケースのほか、甘やかされた長男に社内・社外から反対が相次いで混迷したり、兄弟間で派閥ができて社内分裂したりと、よくよく聞くとそういう話が非常に多かった印象があります。

事業承継というと、一般的に事業を受ける後継者側の能力や意識が問題となりますが、事業を渡す先代側に問題点があったり、ちょっと先回りして手を打っておけば・・・ということが意外に多いです。なので、今回は事業を渡す先代側に焦点を当てて、うまい渡し方を考えていきましょう。事業承継の第一回目は武田信玄です。
武田家

「武田家滅亡に学ぶ事業承継」という書籍があるのですが、歴史的な事実に基づいて著者の客観的な分析、考察によって武田家の事業承継の問題点、これからの事業承継についてどうすべきかが書かれていて、とてもおすすめです。

武田信玄は、兵法にも通じ、人心掌握にも心を砕いていて、組織を束ねるリーダー・大名として、きわめて優秀で、甲斐を基盤に信濃、遠江にも領土を拡大していきました。自身で上洛し、天下統一を成し遂げて完結させるという強い意思があったのでしょうか、残念ながら今日の本題である事業承継については、計画的に行わずにその後の滅亡に大きく影響を及ぼしたと思われます。(人により見方は色々とあると思いますが)

武田信玄に限らず、戦国時代は男系の子孫を残して家を反映させるということで、大名には正室・側室がいて、子供が何人もいるのが当たり前でしたので、今の時代よりも前提としてややこしかった(だれを家督=後継ぎにするかでもめやすい)と思います。

信玄の事業承継の観点から見る残念と感じる点は以下です。

1.最後の最後まで家督を譲らなかった
2.後継者を誰にするかで二転三転した  
3.渡し方も後継者がやりにくい形で渡した

1.について
信玄自身がきわめて有能で、自身も相当に自信があって自分以上に組織を取り仕切れる人物はいないと思っていたのでしょう。ある程度元気なうちに後継者を指名して任せるとなると、自分の周りの重臣達も離れ、自分より劣る後継者では逆に侵略される、夢に見ていた上洛・天下統一の夢も萎んでしまう…だから俺がやり切る、そんな感じでしょうか。中長期的な一族の繁栄を考えると、ある程度元気なうちに後継者を鍛えて指名して任せて、一歩引いたところからアドバイスや指導をする、そのなかで信玄公の領土拡大の暗黙知をOJTで転移させるということが必要だったと思います。

2.について
当初は嫡男(義信)を後継者と考えていましたが、種々対立する事柄があったようです。特に決定的だったのが駿河の今川家(義元亡き後の家督は氏真)侵攻をめぐるものだったと思われます。義信の夫人は今川氏真の妹で夫婦仲も良好で、義信はその姻戚関係をベースに武田・今川・北条の同盟維持・強化派でした。一方で、信玄は義元が信長に桶狭間で討たれて、継いだ氏真であれば駿河を侵攻して自分の領地としたい。駿河は海があり、山に囲まれた甲斐エリアから見ても、船で京を目指せたり、船を使った貿易、塩や海産物が取れるなどメリットが大きかったのです。なので、信玄は今川家との同盟を破棄して侵攻する方針を示しましたが、上述の通り、義信とは意見が真っ向から対立して結局 義信は謀反の疑いをかけられて幽閉されてしまいました。その後、信玄は四男・勝頼の夫人に織田信長の養女を迎えて、今川義元を討った仇敵・信長との友好関係強化に踏み切ったことなどもあり、義信は自害してしまいました。そのような嫡男をめぐるゴタゴタの末に、後を継いだのが信玄の側室の諏訪御料人の子息である四男・勝頼です。源氏の流れを汲む武田家のトップは代々「信」という字がついていますが、勝頼は「頼」が付けられており、この由来は信玄公が制圧・支配した諏訪家が代々付けるものとされています。勝頼は統治上の形式的な面はあるにせよ、元々諏訪家の後継者と目されていて、実際に旧諏訪軍の高遠城の城主として諏訪エリアを治めていました。上記のようなゴタゴタで後継者を急遽180度 変えるのであれば、重臣達にも丁寧な説明とともに、勝頼自身にもどこかのタイミングで名前を例えば「勝信」に変えさせるなどの一段の配慮が必要だったのかなと思います。

3.について
信玄が亡くなる寸前に遺言のなかで、勝頼は代理としての一時的な後継ぎで、正式な後継ぎは勝頼の嫡男の信勝と言ったとされるほか、自らの死を3年間は秘匿しろと言う一方で風林火山の旗は使用するなと指示をしています。
後を継ぐ立場としてはどうでしょう?お前は頼りないし、正式な後継者としては認めないから一時的な代理だ、だから正式な旗も使わせない。だけど父親の死は隠し通せと言っているのです。けっこうなムチャ振りだと思いませんか?

戦場で風林火山の旗が立っていなければいくら影武者がいたとしても、相手には何か変だぞと間違いなくばれますし、重臣達にも後継者は一時的な代理なんだ、能力も大したことないからなんだと軽く見られていしまいます。後継者と決めた人物には親族であるかないかに関わらず、自分の経験ノウハウを叩き込んで教えて、全てを託す、あいつは俺以上に優秀でやる奴だ、だから重臣達も全力で支えよとメッセージとして伝えるべきだったのでは?と感じます。

武田信玄の事例を教訓にした事業承継のポイントは以下です。
(是非 事業を渡す側の経営者の皆さんにはご留意頂きたいと思います)

1.元気なうちに後継者を決めて、自身の暗黙知・経験・ノウハウを計画的に実践のなかで転移させる、教え込む(意見が対立しても対話を重ねて我慢することも必要です)
2.後継者の試運転の期間も作り、生きているうちに権限移譲を行う
(自分に権限がなくなることを寂しいとかつまらないとか思わない。後継者が困ったときに後ろからサポートを行う)
3.従業員にもコミュニケーションと根回しを行う
(先代に長年仕えた古参社員へ引き続き後継者の言うことを聞いて会社を守ってくれと伝える 等)      
事業を渡す側が後継者にとってやりやすい環境を整えることが非常に重要ということをお伝えしたかったわけです。長くなりましたが今日はこのへんで。最後までお読みいただいてありがとうございました。

左斜め上からジュエリー業界を元気にする中小企業診断士 広岡徹也です。
今回は異業種の成功事例から学ぶということで、豆腐業界の相模屋食料さん(第3回)の事例をもとにジュエリー業界のマーケットの創造・拡大を考えていきましょう。当初 豆腐業界の事例は第2回で終了と思っていたのですが、お陰様で反響が割と良いため、第3回を勢いに任せて追加しました。

第2回のザク豆腐の開発・リリース後も積極的に新製品を投入していきましたが、その中でも新規顧客獲得が鮮やかだったナチュラルとうふを取り上げます。
アンゾフ 相模屋

マーケティング的には
だれに   ・・・ 20~34歳の女性(いわゆるF1層)
何を    ・・・ ナチュラルとうふ
どのように ・・・ ファッションショーでPRし、ターゲット層にアッと驚かせてスーパー等で販売
このF1層の女性から見て、豆腐はダイエットや健康維持のために仕方なく食べる、特においしいとも思わないし、ましてオシャレでもない、優先度の低い食材でした。それをヘルシーでおいしい、オシャレなデザートとしてこれまでにないコンセプト・切り口で売り出しました。やはりこれも、他の商品では味わえない体験を売りにしているので、オンリーワン商品ですから強いですね。        (ヘルシー × おいしい × オシャレ この掛け合わせで得られる満足体験は他にありません
私もF1層ではありませんが何度も購入し、食べてリピートしていますが、おいしいです。甘さも控えめでさっぱりしていますので、飽きがこない感じです。あと、相模屋食料さんが豆腐市場を席巻してからスーパーの売り場で気づくことがあります。何かと言うと豆腐カテゴリーの売場そのものが広がっているのです。豆腐売り場というと、少し前までは豆腐(絹、木綿)と油揚げの定番らしきものを数種類置いて終わり、あとは下段に特売品を大量に並べて売る…そんなイメージでした。
ところが、最近はどうでしょう?上述のナチュラルとうふのほか、スンドゥプシリーズや おかずやっこシリーズなども売り場の面を取り、賑わいを見せています。ベーシックなものと、新奇性のあるものと明確に分けて強化開発してきたことが売り場を制するところにも生かされています。
あともう1つ、マーケティングの面で素晴らしいと思うのは、将来のコアターゲットとなりうる層に的確に早めに浸透できていることです。F1層の女性にとっては今独身で日常の食卓にはそんなに豆腐が出ることはそう多くはない、しかし結婚して主婦になると安くて栄養があってどんな料理にも使える豆腐は便利となっていきます。その前のタイミングで相模屋食料さんのナチュラルとうふの虜になっていたら、間違いなく相模屋食料さんのベーシックな豆腐を買い、リピート化すると思います。
前回もお伝えしたように、やはりここでも、新規マーケット→既存ベーシック市場への連動が見られ、新製品を駆使して点で新規客を捉えて、既存ベーシック市場に新規客をうまく誘って線にして豊富なラインナップで囲い込む、まさに理想の形を実現できています。今日はこのへんで。最後まで読んでいただいてありがとうございました。


左斜め上からジュエリー業界を元気にする中小企業診断士 広岡徹也です。
今回はジュエリー宝飾品のポップアップ販売におけるインバウンド事例をご紹介します。
前職で某百貨店との商談のなかで中国旅行者向けに売れるモノを編集・セレクトしてジュエリー宝飾品をインバウンド商材として展開できないか?という提案をしていました。先方内でも色々と揉んだ結果大阪のとあるインバウンド向け施設でイベントスペースを使ってインバウンド(中国人旅行者)で売れる商材をテストする意味も込めて是非ジュエリーをやろうとなり、数年前ですがチャレンジしました。
そこの施設では、化粧品、家電、雑貨、薬品などを取り扱い、2Fの一部をイベントスペースとして、それまでにタオルや健康食品などを取り揃えて何が当たるのか試行錯誤しながら販売していました。
特に、中国人ツアー観光客が客層としては圧倒的に多く、バスで周辺に乗り付けて決められた1時間はその場所周辺でお土産・買い物をするというスケジュールになっていて、お客が殺到する時間帯は殺到する感じでした。
 
過去その場所で他社も含めてジュエリー・アクセサリーを販売したことはなく、私たちも完全な手探りでしたが、ダイヤ、カラーストーン(サンゴ、翡翠、エメラルド、サファイヤ、ルビーなど)、パールのジュエリーを300点ほど取り揃えて1週間の会期で本番に臨みました。
(当時、仕事とは問題発見して解決に導くこと、前例のない新しいことに前向きにチャレンジすることだと常々言われており、今回は後者だと思い、取り組んだ記憶があります)

結果はどうだったかと言うと、当時のそのイベントスペースでのトラックレコードを大きく更新する数字(ウン百万円)を叩き出しました。百貨店本社のやり取りをしていたインバウンド担当の方も 店舗に実施するようにおすすめして良かった!と言ってもらいました。

私たちも日々試行錯誤しながら実行して分かったこと、学んだことは以下のようなことです。

1.中国人のツアー観光客は買い物の時間制限があるため、事前に綿密にネット等で調べて、何をどこで買うかをほぼ決めている。(メモのようなものを持ち完全な目的買い…魔法瓶・薬・化粧品等)

2.その中でジュエリー・宝飾品の優先度は低い。しかもポップアップだと事前の中国人の情報収集 の情報のなかに入らないため、素通りされる。

3.中国人販売スタッフがお客の足を止めて接客して販売をしたが、ツアー客(中国では恐らく中間層)からすると、日本のジュエリー=真珠、お土産で人にあげる=ネックレスとなり、パールのネックレスで10万円以下のものが圧倒的に動いた。(ジュエリーは買い物の想定には入っておらず高額なものは時間も予算もないし、売れない)

4.当然ながら中国人スタッフで臨まないと売れない。日本人だと違和感を持たれて足も止めてくれない、販売する際に価格交渉もやるので、きっちりコミュニケーションを取れないとダメ。

5.値付けの工夫をする必要があり。例外なく値引きを要求するので事前に想定しておくほか、値引き後の数字の下一桁を8にする。(中国では8が縁起が良いとされ、好きな方が多いようです)

6.ツアー客ではない個人旅行者(ビジネス出張の経営者含む)は上記の傾向とは全く違い、時間とお金に余裕があり、良いモノがあればじっくり見て聞いて、気に入れば買う。比較的高額なジュエリーの複数買いをした方もいた。

ジュエリー小売店の皆様は展開している地域によってインバウンド需要に大きな差があると思いますので、必ず強化するということではありませんが、情報として参考にしてもらえればと思います。
今日はこのへんで。最後まで読んでいただいてありがとうございました。


左斜め上からジュエリー業界を元気にする中小企業診断士 広岡徹也です。今回は異業種の成功事例から学ぶということで、豆腐業界の相模屋食料さん(第2回)を取り上げたいと思います。
アンゾフ 相模屋
前回お伝えしたように、①の市場浸透戦略で基盤となる木綿、絹豆腐の面の拡大・シェアアップを
まずきっちりと行い、成長の礎を作りました。その後の展開も非常に巧みなので、今日は②新商品の開発戦略に触れたいと思います。今現在で見ますと多種多様な新製品を出していますが、②の戦略をミックスした当初(2012年頃)、ザク豆腐を尖兵に新製品として市場に投入しました。社長ご自身がガンダム世代で、熱狂的なファンであったためにトップダウンで開発投入した経緯のもとで、新製品を既存市場(主にスーパーマーケット)で販売しましたが、思わぬ反響がありました。
エンドユーザー軸(最終消費者)を見ていくと、これまでスーパーで豆腐に見向きもしなかった40才前後の男性(ガンダム世代)が売り場に殺到し、カゴの中に次々に入れていったのです。豆腐のカテゴリーでは価格は高めですが、一般的な買い回りのなかでは手ごろ(200円)なため、奥さんもダメとは言わないですし、男性向けに枝豆を利かせておつまみの豆腐として売り出したこともターゲットにマッチしました。発売記念発表会にシャア役の声優さんも呼んで話題性を高めて、その後のSNS(特にツイッター)での拡散にも繋げました。当時供給の問題もあったのかもしれませんが、どこのスーパーにも置いている訳でもなかったため、発見すれば嬉しいですし、これだけ尖った商品であればSNS世代であれば、ついつい驚きなり感動を呟きたくなる、心をくすぐる商品として広まっていきました。

マーケティング的には
だれに   ・・・ 40歳前後のガンダム世代の男性
何を    ・・・ ザク豆腐(枝豆を利かせたおつまみ向け)
どのように ・・・ SNS(特にツイッター)で拡散されて、反響が反響を呼ぶ形でヒットした
という感じでしょうか。

ちなみに相模屋食料さんでは市場調査やモニター調査の類は一切やらないとのことです。既に流通している製品をアレンジするとか、ブラッシュアップするようなモノであれば消費者に意見を聞くことが多いですが、相模屋食料さんのように革新性を持った市場創造型の製品開発では、消費者に聞いたのではかえって丸まってしまうので、このへんの対応もはっきりしていて素晴らしいと思います。

話を戻しますと、こうして豆腐に関心のなかった新規顧客層にも相模屋食料は面白いことをやっていると認知され、日常的に購入する豆腐も便利な3連パックで売っているのね、となってベースの既存マーケットでリピーターとなっていきました。尖った新製品をフックにした新規客獲得→ベース市場でリピートのフローが作られ、それに比例して売上が相乗効果で伸びていきました。

ジュエリーの小売店に置き換えますと、一朝一夕にはできないかもしれませんが、こうしたフローを意識して作っていってもらえれば良いと考えています。

ベースの商売のところでいくと おおむね

だれに   ・・・ 長年ご愛顧の既存顧客
何を    ・・・ 店頭に並んでいるジュエリー・宝飾品
どのように ・・・ 店頭やホテル催事で関係性をもとにねっちり接客して販売
だと思います。ここは大きく変えようにも変えられないので、足が遠のいている既存顧客も含めてターゲットとしますと、フックとなる新製品もしくは新サービスがやはり必要となります。

新しいイベントももちろん良いのですが、上記の販売との相乗効果を考えると、やはりサービスがはまります。他店で購入した品物も含めて、今現在持っているジュエリー宝飾品を把握の上、適切な整理もしくは有効活用・譲り渡しの情報提供・相談・提案を行うのです。お客様としては 新たに買うよりも今持っているものをどうしようかと何となく思っているので、まずそこをきっちりとお手伝いします。その中に自店で買ったものが入っていても後ろめたいと思う必要は全くありません。その当時売った買ったは過去の話で、今回の提案をきっちりとやりきって満足してもらえれば良いのです。
それにより、在庫も物理的にすっきりして、整理して多少なりとものお金が入るほか、大事にしていたものや比較的高価なものは自分の身内にデザインを変えて譲り渡し、持っているものへのお悩みが解消されていきます。解決してくれたスタッフへの満足・感謝も生まれてお付き合いもOKとなり、感情的・金銭的な余裕も生まれ、ジュエリー宝飾品を買ってもらう確率は間違いなく上がります。
そのとき買ってくれなくても深追いする必要はありません。イベントを絡めながら次のタイミングをうかがえば良いのです。持っているものがすっきりしたことはこちらは分かっているわけですから。
ちょっと今日は長くなりましたがこのへんで。最後まで読んでいただいてありがとうございました。


左斜め上からジュエリー業界を元気にする中小企業診断士 広岡徹也です。
今回は異業種の成功事例から学ぶということで、豆腐業界の相模屋食料さん(第1回)を2回に分けて取り上げたいと思います。
共通すべき事項もありますので、ジュエリー小売店の皆様は、ジュエリー業界に置き換えて読んでいただけると幸いです。今や色々なメディアに取り上げられていて、飛ぶ鳥を落とす勢いの相模屋食料の鳥越社長と面識があり、私が鳥越社長を勝手に尊敬しています。
私は元々某乳業メーカーで新卒で入り、スーパーや卸店を得意先として営業をしていました。当時仙台とその後 郡山に赴任していた時に共通の得意先であるスーパーマーケットの競合メーカー(当時 雪印乳業と言えば押しも押されぬ業界トップ企業)の営業担当が鳥越社長でした。その後、郡山に異動した後も乳製品や豆腐などチルド日配品を幅広く扱う地場問屋さんを担当していた際に、鳥越社長の奥様も相模屋食料の営業として来ていたため、奥様ともたまたまですが面識がありました。前置きが長くなりましたが、鳥越社長が相模屋食料に移られたのは人づてに聞いていたのですが、実行スピードと徹底力に裏打ちされた企業としての成長力は特筆すべきものです。鳥越社長の書籍「ザク豆腐」の哲学も当然ですが、読みました。

ジュエリー業界と豆腐業界は嗜好品と日用品で、価格も大きく違いますが、共通すべきところもあり、学びは得られると考えています。

<共通点>
1.全国で個人事業・家業として製造小売業者が点在
2.成熟市場
3.商品に差別化や独自性を打ち出しにくく、コモディティ化が進展
 (豆腐業界においてはこれまではという意味です)
マーケティング的に振り返ると、まずは「何を」のところから改善していきました。王道かつ市場のメイン商材である木綿・絹豆腐のイノベーションに取り組みました。具体的には、製造工程の自動化を通じて以下を実現し、製造管理の3要素の全てを大きく改善しました。

<改善ポイント>
1)アツアツ状態の充填によるおいしさアップ(Quality:品質向上)
  ※手作業で詰め作業となると、温度を下げるために水にさらし、その際に味が落ちる 
2)量産による生産効率の大幅な上昇(Cost:製造コスト低減) 
3)アツアツ状態の充填により雑菌が繁殖しないため、賞味期限が従来よりも伸びる(Cost:製造コスト低減とDelivery:納期改善)
アンゾフ 相模屋
  
これにより、年間約5,000億円と言われる豆腐市場のシェア拡大を狙ったわけです。
個人的には、特に3)の納期改善が大きかったと考えられます。私もスーパーマーケットや一部コンビニエンスストアを当時担当していましたが、納期(製造してから何日以内のものを納品せよ、欠品は許されない)に大変厳しいため、賞味期限の短いものは特に出荷期限までのバッファが短かったと思いますので、見込み生産による廃棄ロスが大幅に削減したほか、コンビニエンスストアのように納期に非常にうるさいところへの導入がしやすくなり、商品の面の確保に繋がったと考えられます。
要はコスト削減と販路拡大が一気に図れたということで、私も某大手コンビニで相模屋食料さんの木綿3パックを買うことが多いです。)
添付のアンゾフの成長マトリクスでいう①の市場浸透戦略というところです。まずは商売のベースとなる、大きな部分をきっちりと抑えたうえで、②新商品開発戦略とミックスさせていきます。経営面から考えると、年商30億円当時に投資額40億円というと一見大胆なように思えますが、アプローチとしては非常に合理的です。②新商品開発戦略については、次回書きたいと思います。それでは今日はこのへんで。最後まで読んでいただいてありがとうございました。


左斜め上からジュエリー業界を元気にする中小企業診断士 広岡徹也です。
今日は先々月8月1日に講演した内容をセミナー・講演の主催元であるPR現代様がそのときの中身を整理してホームページにアップしてくださったので、それをもとに、小売店の勝ち残りについて考えたいと思います。
自分の写真


中身は「ジュエリーセカンダリービジネスにおけるウェブとリアルの融合」ということでした。ビジネスの立ち位置としてジュエリーのセカンダリービジネスを専業として取り組んでいるケースと、ジュエリー小売店としてプライマリー(新品)主軸で取り組んでいるケースとでは全部が全部当てはまるとは考えていませんが、生かせる部分もあると思っています。
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講演でお伝えしたかった内容としては、
1)ターゲット(喜ばせる相手)を明確にする
2)そのターゲットを意識した尖り(=独自性)を作る
3)ウェブとリアルの両面でその尖りを工夫して伝える
  →ターゲットに共感を得て付加価値を理解してもらう
4)ファン化する、顧客創造の仕組化を企業として組織として徹底して行う

この一連の流れを作ることが重要です。単にモノを並べて待ち構えて売るだけでは、店はいずれ無くなっていきます。上述した尖りが「モノ+付加価値のあるサービス」であり、「モノ+興奮する・心地よい体験」であり、それはお店それぞれがお客様を具体的にイメージして試行錯誤しながら自分たちならではのものを作るということです。
先日ご紹介した、でんかのヤマグチさんの御用聞きサービスは高付加価値の独自性そのものであり、上記の流れを実行・実現している典型例と言えます。

先日 複数の商業施設のディベロッパーの方と話をしましたが、大手ディベロッパーの商業施設でもモノ(特にアパレル)が売れないと嘆いていました。最近オープンしたショッピングセンターを見てみますと、何が特徴かというと、アパレルを筆頭とした物販店のウェイトが少なく、飲食などの非物販のウェイトが上昇していることがはっきりと見て取れます。
資本力やブランド力のある大手であれば、新しいチャネル構築(ネット通販)や扱うカテゴリーを広げたライフスタイル型ショップの展開が考えられますが、リソースに限りがある中小企業の場合、そういう戦略は取れません。
自分の扱っている商材をもう一度見つめ直し、MDの再編集を考えつつ、扱いラインを深める・掘り下げる・専門性を高めることが独自性の発揮・勝ち残りに繋がるのではないでしょうか?

8月1日のセミナー・講演でエクスペリエンスマーケティングの藤村正宏先生が基調講演の講師として話をされていて、私もその話に感銘を受けて、藤村先生の著書をその後 複数冊読みました。
ここでご紹介したいのが、花屋の成功例です。
ただ単に花を売るのではなく、バレンタインデーに「愛の告白」という体験価値を売るというものです。ヨーロッパでは愛の3大ギフトと呼ばれているものが何だかご存知でしょうか?
花 チョコレート シャンパンなんだそうです。花屋の店主はそこに着眼して、自社の花という商材を再編集し、バレンタインデーに女性から男性に贈るアイテムとして花 チョコレート シャンパンをセットにして提案しました。すると、バレンタインデーに愛の告白をしたい女性の心を鷲掴みにして飛ぶように売れたそうです。
闇雲にジュエリーの新商品や扱いラインを広げて未知なるものを売らなくても発想を変えて、既存商材の「再編集」でも独自性(ここではモノ+体験)は十分に生み出せるのです。この例は単なるモノ売りから脱却するためのヒントとして素晴らしいので、ジュエリー宝飾に置き換えた場合に応用してみたいと思っています。今日このへんで。最後までお読みいただいてありがとうございました。

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